『最愛の母への誓い』 元医療従事者の生き方探求物語

プロフィール

はじめまして!

“そうだい”と申します!
本人はこんな顔です笑。

趣味はアニメと映画鑑賞、
あと遊戯王も好きな、

そこそこのオタクですw

そして、HSS型のHSPです。

そんな僕ですが、
以前は『義肢装具士』という名の

医療従事者でした。

この僕、そうだいが
なぜ医療の道からネットの世界へ

ジョブチェンジしたのか?

そして、どうしてそこから
HSPカウンセラー
という道を選んだのか?

これまでの経緯想いをお話します。

もし、簡易的に見たいという方は
下記のインタビュー記事をご覧ください。

僕の経緯と想いを、要約して
紹介してくださってます♬

プロローグ

“変わるなら『今』しかない!”

自分らしい生き方を求めて
あらゆる情報を集めてきたが

“結果に繋がらない”

ただの

ド底辺ブロガーな
医療従事者が、

“自分らしさ”を追求し、
挑戦を続ける

不屈の生き方探求物語

今回は
知識0経験0実績0

何も知らないど素人の僕が

自分自身を見つめ直し、
人生を大きく変えるまでの過程を

包み隠さずお話したいと思います。

正直、過去の自分の話をするのは
めちゃくちゃ恥ずかしいです。

できることなら
話したくありません。

なぜなら、僕がいかに
スキルや才能を持たない凡人だったか、

そして、どれだけ苦しい想い
してきたのか、

正直、なんの自慢話にも
なりません…。

決して明るい話ではないからです。

ですが、僕はあなたに
同じ失敗をして欲しくない。

そして、絶対に自分の生き方を
諦めて欲しくないから。

そんな想いをあなたに
お伝えしたくて、

今日、この記事を
書いています。

「“自分”って一体なんなんだろう?」
「やりたいことがわからない…」

そんなあなたへ。

僕の過去を知って、
なにかあなたの生き方のヒント
になってもらえれば嬉しいです!

最愛の母

僕の人生を語るにおいて、
まずは僕の母について
語らなければなりません。

僕の母はとても優しく
そしてとても強く

そしてとても病弱な人でした。

それでも、身体の弱さを言い訳する
ことなく、家事と仕事を両立させ、

僕と妹に何不自由ない生活を
させてくれました。

僕の最も尊敬する人です。
(なんかマザコンみたいに聞こえる笑)

そんな母と僕たち家族との
平凡ながらも幸せな生活

そんな幸せに亀裂が入ったのは、
僕が9歳のときでした…。

“長男”として

『バタン!!!』

突然聞こえてきた大きな音。

何事かと思い、急いでリビングへ
駆けつけると、そこには…

横たわって、泡を吹き、
もがき苦しむ母の姿がありました。

『えっ、えっ、どうしよう!?』

なにが起こっているのかわからず、
パニックになる9歳の僕。

そんな僕に、母はかすかな力を
振り絞って、か細く

「救急車…」

と、まさに必死の一言。

その声を聴いた僕は、慌てて
救急車を呼びました。

当時、父は外出していて自宅には
頼れる人は誰もいなかったんです。

救急車で運ばれていく母。

未成年だった僕は、付き添いを
ご近所さんに任せ、

必死に電話帳から親戚の電話番号を
探し、父に連絡してもらいました。

そして、父が戻って来るまでの間、
泣き叫ぶ妹に声をかけ続けました。

長男として、やるべきことを
必死にこなしていた僕。

泣く暇もありませんでした。

僕が泣いたのは、それから3ヶ月ほど
経って、母と再会したときです。

やせ細り、車椅子に乗っている
変わり果てた姿を見て。

迷惑をかけたくない

その後、母の容態は順調に回復し、
車椅子も必要とせず無事に退院できました。

幸い、その後は母も何事もなく、
仕事にも復帰してイキイキと過ごして
いました。

そして、僕も中学生となり、
高校受験に向けて勉強していました。

ただ、志望校は正直どこでも良く、

途中で、母が提案してくれた
工業高校に通うことにしたぐらいです。

当時は、自分ではなく母のために
勉強していたような気もします。

勉強は大っきらいでしたけど笑。

今振り返ってみると、このときから

  • HSP(Highly Sensitive Person)
  • AC(Adaruto Children)

などの要素が、すでに僕の中に
あったのでしょうね。

周りに求められる自分
いようとしていました。

高校時代

工業高校に進学した僕。

そこで災害現場で活躍する、

レスキューロボットの簡易版を
作る部活をしていました。


※ 当時のリアルなそうだいです笑。

機械油まみれになりながらも、
部員たちと切磋琢磨し合い、

最高に楽しい時間を過ごしていました!

クリスマスには部室で一緒にケーキを食べ、
夏休みには、誰も何も言ってないのに、

自然と部室に集まるみんな。

そして大会が近づけば、一緒に計画を練り
ロボットの設計案を話し合う。

僕の青春のすべてがそこにはありました

やってることは特殊でも、
仲間たちと一緒に部活を楽しんでる、

そんなごく普通の高校生でした。

しかし、ここから僕の人生は
少しずつ崩れて行くのです。

『頼る』って何?

「迷惑をかけたくない!」
「自分がしっかりしなくちゃ
いけないんだ!!」

今までの経験から、
周りに求められる自分
あろうとしてきた僕。

だからこそ、自分がどれだけ
作業やストレスを抱えていても、

『頼る』ということが
できませんでした。

いや、正確には、
『頼り方』を知りませんでした。

『頼る = 弱音を吐く』
ぐらいのニュアンスでいたぐらいです。

空気を入れ続けた風船がやがて限界を
迎えて破裂してしまうように、

僕にも限界が訪れました。

適応障害うつ不登校を経て、留年
最終的には退学までしたのです。

父には失望され、
妹にも白い目で見られ、

母も泣かせてしまいました

迷惑をかけたくないと切に願った結果、
これ以上ないほどの迷惑を家族にかけて
しまったのです。

そしてなんの因果か、同時期に母が
脳梗塞により緊急搬送。

幸い、大事には至りませんでしたが、
僕は僕が大嫌いになりました

「全部お前のせいだ…!!」

と、自分を責めない日はありませんでした。

転機

工業高校を退学したのち、
通信制高校へ入学しました。

それも、そこで学びたくて
入学したわけではなく、

高校の卒業認定を取得するため
だけに通っていました。

そのため、当時の学校生活は
決して楽しいものではありませんでした。

会話は一切なく、ピリピリとした教室。

放課後になると、蜘蛛の子を散らすように
下校するクラスメイト。

年齢も境遇もバラバラ。

はっきり言って、居心地は
最悪でした…。

しかし、そんな殺伐とした学校生活、
あるいは僕の心に多大な影響を与える

大きな転機が訪れます。

体育の授業にて、クラスメイトの
一人と話す機会がありました。

見た目はチャラついてて、
いかにもヤンキー風な男の子。

正直、話すのは怖かったです笑。

しかし、その子と話したときに、
僕の中で衝撃が走りました。

留年や退学をしていた僕は、
彼よりも歳が上でした。

それ知った途端、その彼が
僕にめちゃくちゃ丁寧な敬語
使って話してくれたのです。

『人は見かけによらない』

当たり前ですよね?

でも、学歴や世間体に囚われていた
当時の僕には衝撃だったんです。

それがきっかけとなり、それまでは
無視していたクラスメイトのことが

気になるようになりました。

いろんな境遇、悩み、考えを持って、
自分自身と環境を相手に闘っている。

その想いを知るうちに、徐々に僕の
心のなかにかかっていたモヤモヤが
晴れていきました。

そして、いつの間にか僕のうつは
どこかに隠れてしまいました。

未来に向かって

それまでの心の霧が晴れた僕は、
次に未来について考えるように
なりました。

高校を中退し、通信制高校に通う僕。

正直、今のままでは選択肢は
限られます。

そもそも“やりたいこと”も
よくわからない。

工業高校に通っていたこともあり、
ものづくりは好きだけど
それでも選択肢は広い…。

そして、自分が鬱を経験したこともあり
誰かの役に立てる仕事に就きたい。

それらの想いから、

『ものづくり × 人助け』

そんな事ができる職はないかと
漠然と考えてたとき、

工業高校時代の担任の先生に
勧められた“ある職”が
僕の脳裏をよぎりました。

その職の名は、

『義肢装具士(PO)
Prosthetist and Orthotist』

義肢装具士とは、病院でコルセットなどの
採寸をしたり、義足や義手の型取りや
調整を行なう

国家資格を持った医療職です!

※ 義肢装具士について、より詳しく
お知りになりたい方は、僕の過去の
ブログをご参考にしてみてください。
義肢装具士とは何者?
義肢装具士とはどんな職業なのか?そのなり方や働き方を簡単にご紹介していきます!

『再び立ち上がるための
希望”を提供したい』

その想いが強くなり、義肢装具士を
目指そうと決意した僕。

しかし、そこには大きな壁
立ちふさがっていたのです。

見返す闘い

義肢装具士になるためには、
最低でも3年間は学校で学ばなければ
なりません。

僕の自宅から比較的近い専門学校を
調べたとき、衝撃的な事実を知りました。

その学校に通うためには、
¥1,000万もの学費

必要だったのです…!!

驚きでした。

もちろん我が家にそんな余裕は
ありません。

それでも、相談せずに諦めるのは
違うと思い、両親に相談しました。

義肢装具士への想いと学費について
話したとき、父から言われた言葉。

『ふざけてるのか?
学校辞めたやつが何言ってるんだ。』

『舐めたこと言ってないで、
さっさと働け!!』

…何も言い返せませんでした。

当然です。
すべて事実なのですから。

ただ「はい…」と一言返事して、
その場を引き下がりました。

しかし、
めちゃくちゃ悔しかったです!!

自分の夢ではなく、
自分自身を否定された。

そして、何も言い返せない自分が
悔しくてたまりませんでした。

なんとか自力で通うため、
一生懸命勉強しました。

夢を叶えるため。
そして、父に僕を認めさせるため。

なにより、母を安心させてあげたくて。

そうしてがむしゃらに勉強した僕は
¥1,000万分の奨学金を掴み取ることに
成功しました!

そして、専門学校に進学し、卒業。

学費と父の壁を乗り越えて、
義肢装具士になれたのです。


※ 個人情報の保護により一部隠しております。

あのときの達成感と行動力は、
今でも僕に大きな自信
与えてくれています。

いざ社会人へ!

ついに社会人に!

大きな憧れを胸に抱き、
希望に満ちたキラキラした目で

新社会人の扉をくぐると
そこは…

苦労して手に入れた、
義肢装具士という職業。

『こんなにやりがいのあることは
ないだろう。』

キラキラと眩しい目をして
社会人の一歩を踏み出しました。

ですが…
現実は甘くはありませんでした。

  • 拘束時間の長さ
  • 医師と患者からの板挟み
  • 大量の書類を抱えたアナログさ
  • 病院という苦悩の感情に溢れた空間

現実はこれらに耐えながら、
自分を押し殺して仕事する日々。

「現状を解決するために、
誰も動いていない。」

「動いていたとしても、大きな組織だと、
改善されるまでに時間がかかる。」

先輩に相談しても、

「みんなそれで頑張ってるから、
文句言わずにやれ!!」

と言われるだけでした。

もちろん、苦しいだけではありません。

素敵な患者さんと出会いや、
一般的には一生経験することのできない
であろう体験もすることができました。


※ 2016年のリオパラリンピックのメダル

不満を感じつつも、充実した日々
過ごしていた僕。

そんな貴重で何気ない日々を
送っていたある日、

僕の人生にとって、またしても
大きすぎる転機が訪れたのです。

最悪の襲来

母が『肺がん』にかかったのです。

あまりにも残酷な現実。

突然の悲報に頭が真っ白に
なりました。

先述したとおり、母は元々病弱な人で
それまでにも

  • 大動脈瘤
  • 脳梗塞

といった大病と闘ってきた人です。

命の危機に何度もさらされながらも、
必ず舞い戻ってきた強い母。

僕が誰よりも尊敬している人

そんな母に、さらなる命の苦難。

ショックでなりませんでした。

うつになり、留年と退学。

迷惑をかけてしまった大好きな母に
ようやくこれから恩返しができると
思っていた矢先での、大きすぎる試練。

「これ以上はやめてくれ!!」

そんな僕の想いをあざ笑うように
病魔は容赦なく、そして着実に、

母に襲いかかっていきました。

歩くこと、食べること、話すこと。

それまでの“当たり前”が
日に日にできなくなっていく母。

僕はといえば、仕事で病院に行き、
終われば直行で母の病院に行く。

そして、時間の許す限りそばにいる。

その日あったことを話したり、
口に食事や水分を運んだり、

手を握りただそばにいたり。

病室の隣に簡易ベッドをおいて、
そこで寝泊まりすることも
少なくありませんでした。

苦しいながらも、頑張って
微笑んでくれる母。

しかし、そんな日々も長くは
続きません。

その日あったことを話しても、
麻酔で眠っていて返事が返ってこない。

口に食事や水分を運んでも、
苦痛に顔を歪めながら、
ようやく飲み込む。

手を握っても、握り返されない手。

僕の知る母が刻一刻と失われていく

それでも、笑顔で接するように
努めました。

でないと、誰よりも頑張っている母
目の前で泣いてしまいそうだったから

しかし、そんな頑張りもむなしく、
ついに『その日』はやってきました。

最愛との別れ

冷たくなっていく、握った手。
母の最期は僕が看取りました。

胸を締め付ける、深い悲しみ。

そして何度も

「ごめん、ごめん…。」

と母に言い続けました。

義肢装具士は医師ではない。
ましてや内科では何もできない。

そんなことはわかってる。

それでも、医療職でありながら、
何もできなかった自分の無力さに

失望し、ただひたすら謝り続けました。

ひとしきり謝った後、
改めて、母を見ました。

冷たくなった手や頬に触れた時、

『命の終わり』

を痛烈に感じました。

そして、

自分の命にも限りがあることを
唐突に理解しました。

僕は大病を患ってるわけじゃない。

それでも明日、

なにかの病気にかかるかもしれない。
交通事故にあうかもしれない。

そう考えると、
たまらなく怖くなりました。

上司や医師、患者やその家族との
人間関係。

それらの板挟みにあいながら、
残業してまで働く日々。

「ストレスに耐える以外に
生きる道ってないのかな?」

「もっと自分らしい生き方が
あるんじゃないかな?」

そうして、我慢して雇われるのではなく、

自分らしく生きるための道
を模索しました。

新たな道へ

母の死後、自分らしい生き方を
追求するために、努力の末に手に入れた
義肢装具士の職を退職。

正直、苦渋の決断でしたが、

自分の想いに嘘をつくことは
できませんでした。

退職後、自由な働き方について
調べているときにまず出会ったのが、

『ネットビジネス』でした。

「何か始めなきゃ
_ほんとやばいよな…」

そう絶望しながら
ぼんやりTwitterを見ていると、

『副業でもスマホ1台で稼げる!』

『これからはネットの
副業で稼ぐ時代です。』

そんな広告を目にしました。

時間も場所にも縛られない。
わずらわしい人間関係もない。

「そうだ!ネットを使って
稼げばいいんだ!」

僕がネットビジネスに希望を
見出すのに、時間はかかりませんでした。

小さな希望を見つけた僕は
必死でネットの情報にすがりつき

自分でもできる
ネットビジネスを探しました。

ブログ、アフィリエイト、せどり、FX…
たくさんある…!!

僕の未来が少しずつ開けていく
そんな感覚がありました。

ですが、

ここからが僕の
地獄の始まりでした。

ノウハウ集め

奨学金の返済もあったので、はじめは
高額な利益のあるFXを勉強してみました。

しかし、FXは利益も高額な分、
失った時の損害もまた高額なもの。

「これ以上が借金増えたら
生きていけない」

そのリスクにビビッてしまい、
結局手が出せませんでした。

そしてリスクが少なそうという理由から
「ブログを書こう」と、なりました。

SEO、アフィリエイト、マーケティング

聞いたこともない言葉たちが
無知だった僕に好奇心を与えました。

「なんだこれ!ワクワクする!」

「せっかく手に入れた国家資格を
何かの役に立てたい!」

そう思って、義肢装具士を
目指す学生さんに向けた

ブログを立ち上げることに
決めました。

独学で『GoogleAdSense』にも
一発で合格!!

「順調!頑張るしかない!!」

そう思って、そのブログでは
半年で90記事も書きました!!

一見するとめちゃくちゃ順調な
ブログライフ。

それでも、現実は厳しく、
全然PV数は上がりませんでした…。

結局、そのブログでは
たったの300円しか
稼げなかったのです…

独学でやっていたため
聞く相手もおらず、

悩み続ける日々。

「もう、どうしたらいいんだろう…」

そんな葛藤の中で、ネットで
ある起業家との出会いが訪れたのです。

突然の出逢い

挫折しかけながらも
前に進むしかなかった僕は、

Twitterを通じて数多くの人と
やりとりをしていました。

多くの方とのやり取りのなかで、
みなさんが口を揃えて僕に
指摘すること。

それは僕が

『ネットでの稼ぎ方を知らない』

という紛れもない事実でした。

確かに僕はそれまでブログの
立ち上げ方や、SEOについては

たくさん勉強し、実践してきました。

しかし、『ネットで稼ぐ』、
その根本を何も学んでいないことに

その時初めて気が付きました…!!

そのままでは何も進めないと、
思い知らされたのです。

そうして、50万の自己投資をして、
ビジネスの勉強をスタートさせました。

『実践』と『修正』

僕は、ビジネスを何も知らずに
成功しようとしていた、

立派なノウハウコレクターです。

勉強はじめて毎日、
『実践』『修正』
繰り返していきました。

そして実践し、ある程度知識を
深めていく中で、ふと、
次のような疑問が生まれました。

「自分を活かせる、自分にしかできない
自分らしい働き方ってなんだろう?」

HSPという気質を、ハンデではなく、
才能として活かせる働き方はないのかと
考えるようになったのです。

自分が与えたい“価値”とは?

「僕にしかできない、僕に適した職って
一体何なんだろう?」

ビジネスは、相手が必要としている価値を
提供することで、初めて成立します。

では、僕が提供できる
“価値”とはなんなのか?

当時の僕が持っている知識は、
解剖学や病理学などの医療の知識や、

ブログ(WordPress)や
マーケティングの基礎的な知識。

コンテンツとして出せば
それなりの価値は見込めるのですが、

なぜか心が動かない。

それらを商品として、
作りたいと思えない。

「一体僕がやりがいを感じつつ、
喜んでもらえる“価値”って
なんなんだろう…?」

そう思ったとき、
僕の脳裏に浮かんだのは

患者さんや母の笑顔でした。

「…そうだ。僕はこれまで人と関わることで
やりがいを感じてきたんだった…!!」

原点回帰。

人と関わりたくないと思っていたはずの僕が、
実は関わりを求めていたんです。

これも、HSS型HSPのあるある
なのかもしれませんね笑。

しかし人と関わるビジネスと言っても、
多岐に渡ります。

そこで僕は自己分析のために、
確かな心理学に基づく心理テスト
受けてみました。

その結果、僕は“開放性”“協調性”
高い人間だということを知ったのです。

簡単にいうと、

『クリエイティブな発想を持ち、
知的好奇心が高い。』

『他人の気持ちに敏感で、
思いやりが深い。』

こんな感じです。

それらの強みを組み合わせたときに、
浮かび上がった職業。

それがカウンセラーだったのです。

そうと決まれば、即行動。

通信でカウンセリングを
学べる講座を受講し、

『メンタル心理カウンセラー』

の資格を取得しました。

ちなみに、今後はHSPどうしの
拠り所となるようなコミュニティ
設立も考えています。

以上が、僕のこれまでの経緯と想いです。

あなたと一緒に

このように、
今、この記事を読んでいる
あなたと同じように僕も悩んできました。

  • 「自分らしさがわからない。」
  • 「自分にあった仕事って何?」
  • 「心が折れそう」

痛いほどわかります。

確かに僕は元医療従事者で、
今はカウンセラーです。

しかし、稼ぐ才能は
まっっったくありませんでした!!

それはブログ半年の結果からも
わかりますよね?

でも、自分を見捨てず、
自分らしさ”を貫き通してきました。

そんな僕だからこそ、

『あなたにも諦めず
成功して欲しい』

心の底からそう思います。

うつを経験し、留年および退学。

¥1,000万の奨学金を得てまで国家資格を
取得するも、母と今生の別れ。

ビジネスコミュニティやコンテンツ、
書籍などに、結果¥70万以上もの
自己投資をして、ようやくの“今”です。

こんなメンタルも経済面でもズタボロの
僕でも変わることができた。

この記事を読んでいるあなたにも、

自分の将来が不安だったり、
自分らしく生きるために

行動しようとしているはずです。

だからこそ、ここまで読み進めて
くださったんですよね?

それなら、

次は“あなた”が変わる番です!

僕は、過去の自分のように

将来への不安を抱えていて
人生を変えたいけど、

「何からしたらいいかわからない」

「自分に適した職種がわからない」

やる気はあるのに、あと一歩、
何をすればいいのかを迷っている。

そんなあなたにとって、
生き方のヒントになって欲しいからこそ
この記事を書きました。

だからこそ、カウンセラーとしては
本来やるべきではない、

過去のつらい経験葛藤を、
ここまで細かく書くことにしたのです。

正直、かなり心が疲れました。

それでも、あなたに行動するきっかけを
与えたかったから、出し惜しみせず、
素直な想いをさらけ出しました。

大切なのは、

『どんな自分も否定せずに受け入れ、
_前に進むこと』

です。

そして自分を信じる事

つまづいたり、立ち止まりそうに
なる事はあって当然です。

挫折失敗があっても
そのたびに立ち止まり
ケアして良いのです。

無理にただ前に進み続けなくたって
良いんです。

だからあなたには、

ここで一歩を踏み出す勇気を
ぜひ持って欲しい。

人生は一度きり。

あなたの人生の進路は
あなたが決めて良いんです。

行動しなければ今は変わりません。

もちろん、怖いのはわかります。

今を変えることと、
今を失うことは違いますもんね。

だから、初めは身近なことからで
いいんです。

  • 部屋の片付け
  • ストレッチで運動不足の解消
  • 本や動画で情報収集をする

そんな些細なことからでも
大丈夫です。

それでも、昨日の自分よりは
確実に成長していますから。

後悔の少ない人生の物語
続きを書いていくのは

『あなた自身』です。

あなたの人生の主人公は
あなた”なのですから。

明るい未来を
共に目指していきましょう!

最後までお読みいただき、
ありがとうございました!

そうだい

お知らせ

ここまでお読みくださり、
本当にありがとうございます!

ここで、一つお知らせがあります。

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1日を振り返り、反省して、
消えたくなってしまう

そして涙が止まらなくなる。

 

そんな繊細でがんばりやさんな
あなたに

自己肯定感自信
身につけて、

明日を歩んでほしい。

 

それが
SENSAIの願い
です。

 

この願いを叶えるべく、

『HSPと生きる』

という理念のもと、
誠心誠意カウンセリングを
させていただきます。

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